記憶の街ワークショップ in 鍬ヶ崎 〜模型の街に記憶を吹込む1週間〜
2013.11.17[記憶の街ワークショップ]
まちの記憶を未来へ繋ぐために、立命館大学宗本研究室で宮古市鍬ヶ崎地区の模型を新たに製作し、記憶の街ワークショップを実施した。
http://www.ritsumei.jp/pickup/detail_j/topics/12155/date/0/year/0
<以下参加者感想>
鍬ヶ崎のまちを歩いて出会った人が、その日から毎日会場に足を運んでくださりいろいろなお話をしてくれた。その方の地元を愛する心がとても印象的でした。
・植田 知晃(理工学部・建築都市デザイン学科・4回生)
今回のWSでは仲良くさせていただいた街の人と街歩きをしながら被災前の話や震災の時のお話を伺わせていただく機会があったんですが、震災の日の話を聞いてる時にお母さんが涙ぐんでいたのが印象的でした。
・竹中 賢太(理工学部・建築都市デザイン学科・4回生)
私は震災が起こってからニュースで聞いて見てきた事でだいたいの被災地の現状を知っていたつもりでした。ですが実際にプロジェクトに参加して、被災者の方からお話を聞いて一緒に町歩きをしてもらう事で、その時の体験がリアルに伝わってきました。また、その土地の復元模型を作る事で、今までに知る事のなかった、細部の土地勘や被災者の方との思い出の共有がし易く感じました。プロジェクトまでの準備期間でコツコツと作り上げてきた模型は形になるのがわかり始めてから、とても愛着が湧いてきて、その白模型が色付けられていく様は忘れられません。被災地の方が嫌がる事なく街の思い出を語ってくださる姿を見て、私もこのプロジェクトを成功させよう!と強い気持ちにもなりました。
この経験は一生の思い出になると思います。ありがとうございました。
・伊藤 槙季子(理工学部・建築都市デザイン学科・4回生)
ワークショップに参加して下った方で、涙を見せた方が一人だけいました。僕がお話した方々は、みな地震や津波の被害にあわれた中でも、このワークショップで僕たちにとても明るく、そしてとても親身になって接してくれる方ばかりでした。そんな中での出来事だったのでとても印象的でした。
みなさんそれぞれ様々な感情を持ってこのワークショップに参加していることを再確認しました。
・神谷 領(理工学部・建築都市デザイン学科・3回生)
今回の宮古ワークショップは、会場が道の駅であったため他県から多くの方々が見学なさっていました。そのため現地の方々、ワークショップに参加した学生とはまた別の第三者の方々のお話も聞くことができました。このプロジェクトはまだ広く知られていないようで、大きな模型に現地の方や学生が集まっているのを見て、大変驚かれていました。また、「東日本大震災の後、世間は福島原発のことでばかりで被災地の現状を忘れかけている中、こうしたプロジェクトを続けることでこの震災の記憶が残り続ける。これからもがんばってください。」という言葉をもらいこのプロジェクトに参加し続けてよかったと思いました。現地の方々からは、「ここに来れば、近所の人や顔なじみの人がいて、同窓会のような場所になるからちょうどいい。震災後、離ればなれになったしまった人たちとも再会できてよかった。」とおっしゃり、これをきっかけに記憶だけでなく人と人のつながりを再び取り戻せたことが、我々学生が現地の方のためにできた一番のことではないかと思いました。
・佐藤 早一郎(理工学部・建築学科・2回生)
いままでテレビや新聞を見て私が知っていたのは、震災直後の様子や津波の被害についての言葉での説明が多かったです。そのため、実際に津波に流されたあとの鍬ヶ崎の様子を生で見たときの眺めが最も印象に残っています。元々、そこに家があり、町があったとは思えないような海岸までの見晴らしで、家のあった敷地は草で埋め尽くされていました。遠くの高台からみると全体がほぼ草原のようで、それを眺めながら昔の話をしてくださる現地の方々の思いは私たちには計り知れないと感じました。
・福永 恵里圭(理工学部・建築都市デザイン学科・3回生)
私はシートピアなあどで模型を見ながらたくさんの方からお話をお聞きしました。どのお方もあたたかく、私にたくさんのことを教えてくださいました。今回のボランティアは「記憶の街WS」ということでもちろん震災後のお話もたくさん聞かせていただいたのですが震災前の模型をもとにまちでのご家族やご近所、お友達との思い出をたくさん聞かせていただきました。その中で私はお二人の方に実際にまちにでてお話を伺うことができました。まず「七滝湯」という銭湯をなさっていた方にまちを案内していただきました。その方は顔がとても広く、歩いているとたくさんの方と出会い、私たちにまちの方を紹介していただけました。銭湯は震災前、鍬ケ崎の多くの人に利用されていて交流の場だったのです。また、現在住んでおられる仮設住宅にも連れていっていただきました。仮設は鍬ケ崎から離れた様々な場所にあって、まちの人はばらばらの状態です。銭湯のような交流の場所があればいいのにと思いました。「七滝湯があれば、あなたたちも風呂にいれてあげれるのに」というお言葉が忘れられません。
もうおひとりの方は漁師の方で、観光地として有名な浄土ヶ浜が見える蛸の浜というところから海を見ながら震災のときの様子を聞きました。蛸の浜から見た海の景色はとても美しく、穏やかでした。しかし津波の時は20mほどの波があり、引き潮の時には海の底が見えたそうです。
まちについても様々なことをお聞きしました。祭りや漁や子どもの頃のことなどたくさんのことを教えてくださいました。特に面白かったのが、鍬ケ崎は家がとても密集しているので地図に載っていないほど細い道があり、その道は「アウェイコ」と地元では言われているそうです。こういったまち特有の呼び方や文化などをこのWSでたくさん聞くことができました。今まで受け継がれてきたこのようなまちの特徴はこれからの新しいまちづくりを考えていくうえでも、役立てて行くべきだと思いました。
・森友佑紀(政策科学部・政策科学科・2回生)
http://www.ritsumei.jp/pickup/detail_j/topics/12155/date/0/year/0
<以下参加者感想>
鍬ヶ崎のまちを歩いて出会った人が、その日から毎日会場に足を運んでくださりいろいろなお話をしてくれた。その方の地元を愛する心がとても印象的でした。
・植田 知晃(理工学部・建築都市デザイン学科・4回生)
今回のWSでは仲良くさせていただいた街の人と街歩きをしながら被災前の話や震災の時のお話を伺わせていただく機会があったんですが、震災の日の話を聞いてる時にお母さんが涙ぐんでいたのが印象的でした。
・竹中 賢太(理工学部・建築都市デザイン学科・4回生)
私は震災が起こってからニュースで聞いて見てきた事でだいたいの被災地の現状を知っていたつもりでした。ですが実際にプロジェクトに参加して、被災者の方からお話を聞いて一緒に町歩きをしてもらう事で、その時の体験がリアルに伝わってきました。また、その土地の復元模型を作る事で、今までに知る事のなかった、細部の土地勘や被災者の方との思い出の共有がし易く感じました。プロジェクトまでの準備期間でコツコツと作り上げてきた模型は形になるのがわかり始めてから、とても愛着が湧いてきて、その白模型が色付けられていく様は忘れられません。被災地の方が嫌がる事なく街の思い出を語ってくださる姿を見て、私もこのプロジェクトを成功させよう!と強い気持ちにもなりました。
この経験は一生の思い出になると思います。ありがとうございました。
・伊藤 槙季子(理工学部・建築都市デザイン学科・4回生)
ワークショップに参加して下った方で、涙を見せた方が一人だけいました。僕がお話した方々は、みな地震や津波の被害にあわれた中でも、このワークショップで僕たちにとても明るく、そしてとても親身になって接してくれる方ばかりでした。そんな中での出来事だったのでとても印象的でした。
みなさんそれぞれ様々な感情を持ってこのワークショップに参加していることを再確認しました。
・神谷 領(理工学部・建築都市デザイン学科・3回生)
今回の宮古ワークショップは、会場が道の駅であったため他県から多くの方々が見学なさっていました。そのため現地の方々、ワークショップに参加した学生とはまた別の第三者の方々のお話も聞くことができました。このプロジェクトはまだ広く知られていないようで、大きな模型に現地の方や学生が集まっているのを見て、大変驚かれていました。また、「東日本大震災の後、世間は福島原発のことでばかりで被災地の現状を忘れかけている中、こうしたプロジェクトを続けることでこの震災の記憶が残り続ける。これからもがんばってください。」という言葉をもらいこのプロジェクトに参加し続けてよかったと思いました。現地の方々からは、「ここに来れば、近所の人や顔なじみの人がいて、同窓会のような場所になるからちょうどいい。震災後、離ればなれになったしまった人たちとも再会できてよかった。」とおっしゃり、これをきっかけに記憶だけでなく人と人のつながりを再び取り戻せたことが、我々学生が現地の方のためにできた一番のことではないかと思いました。
・佐藤 早一郎(理工学部・建築学科・2回生)
いままでテレビや新聞を見て私が知っていたのは、震災直後の様子や津波の被害についての言葉での説明が多かったです。そのため、実際に津波に流されたあとの鍬ヶ崎の様子を生で見たときの眺めが最も印象に残っています。元々、そこに家があり、町があったとは思えないような海岸までの見晴らしで、家のあった敷地は草で埋め尽くされていました。遠くの高台からみると全体がほぼ草原のようで、それを眺めながら昔の話をしてくださる現地の方々の思いは私たちには計り知れないと感じました。
・福永 恵里圭(理工学部・建築都市デザイン学科・3回生)
私はシートピアなあどで模型を見ながらたくさんの方からお話をお聞きしました。どのお方もあたたかく、私にたくさんのことを教えてくださいました。今回のボランティアは「記憶の街WS」ということでもちろん震災後のお話もたくさん聞かせていただいたのですが震災前の模型をもとにまちでのご家族やご近所、お友達との思い出をたくさん聞かせていただきました。その中で私はお二人の方に実際にまちにでてお話を伺うことができました。まず「七滝湯」という銭湯をなさっていた方にまちを案内していただきました。その方は顔がとても広く、歩いているとたくさんの方と出会い、私たちにまちの方を紹介していただけました。銭湯は震災前、鍬ケ崎の多くの人に利用されていて交流の場だったのです。また、現在住んでおられる仮設住宅にも連れていっていただきました。仮設は鍬ケ崎から離れた様々な場所にあって、まちの人はばらばらの状態です。銭湯のような交流の場所があればいいのにと思いました。「七滝湯があれば、あなたたちも風呂にいれてあげれるのに」というお言葉が忘れられません。
もうおひとりの方は漁師の方で、観光地として有名な浄土ヶ浜が見える蛸の浜というところから海を見ながら震災のときの様子を聞きました。蛸の浜から見た海の景色はとても美しく、穏やかでした。しかし津波の時は20mほどの波があり、引き潮の時には海の底が見えたそうです。
まちについても様々なことをお聞きしました。祭りや漁や子どもの頃のことなどたくさんのことを教えてくださいました。特に面白かったのが、鍬ケ崎は家がとても密集しているので地図に載っていないほど細い道があり、その道は「アウェイコ」と地元では言われているそうです。こういったまち特有の呼び方や文化などをこのWSでたくさん聞くことができました。今まで受け継がれてきたこのようなまちの特徴はこれからの新しいまちづくりを考えていくうえでも、役立てて行くべきだと思いました。
・森友佑紀(政策科学部・政策科学科・2回生)
主催
立命館大学
共催
鍬ヶ崎地区復興会議
NPO法人さくらネット
NPO法人さくらネット
後援
宮古市
企画制作
立命館大学宗本研究室
協力
岩手県建築士会宮古支部
「失われた街」模型復元プロジェクト実行委員会
宮古地区産業公社
宮古漁業協同組合
宮古市社会福祉協議会立命館災害復興支援室
「失われた街」模型復元プロジェクト実行委員会
宮古地区産業公社
宮古漁業協同組合
宮古市社会福祉協議会立命館災害復興支援室